成功のパラドックス:水戸ホーリーホックはなぜ監督をFDへ?森氏異動と組織再設計の経営判断

昇格の歓喜が冷めないうちに、功労者の退任や優勝監督の異動が重なりました。
この痛みは、理屈で簡単に上書きできるものではありません。
むしろ、理屈が通って見えるほど「それでも納得しきれない」という感情が強くなるのが、スポーツクラブの自然な姿だと思います。
「理屈はわかった。でも納得できない」という気持ちも、クラブを大事にしてきた人ほど当然に抱くものだと考えています。
その前提のうえで、なぜこうした判断が現実の組織で起こり得るのか。
そして水戸ホーリーホックが初めてのJ1に向かうこのタイミングで、どんな“賭け”と“備え”を同時に抱えたのか。
会見で示された公の情報と、一般的な経営・組織の視点から整理してみます。
個別の内情や人物の意図を断定するものではありません。
成功のパラドックス――なぜ絶頂期に“強さの副作用”が露出するのか
企業でもスポーツクラブでも、成功の直後には似た現象が起きます。
成果によってそれまで見えにくかった課題が表面化し、急成長を支えた人物や仕組みが次のステージではリスクとして再評価される。
「現場の勢い」と「クラブ全体の役割や承認ルート」が同じ速度で進まなくなるのです。
規模が小さく、リソースが限られた組織ほど、この揺れは大きくなりがちです。
成長期は少人数で結果を出す必要があるため、“できる人への集中”が最適解になりやすいからです。
つまり、成長のエンジンと後のガバナンス課題はセットで育つ。
成功が大きいほど、副作用も遅れて大きくなる。
これが成功のパラドックスです。
フェーズ転換期に必要な「役割」と「承認ルート」の再定義
組織がステージを上げるときに必要なのは、能力の増強だけではありません。
役割・権限・責任の分散設計、そして意思決定ルートの整理が不可欠になります。
昇格という成功の直後に組織の形を見直す必要性が語られるのは、“勝つ組織から、勝ち続ける組織へ”というモード転換と整合的だと捉えることができます。
成功直後は「変えないこと」が最も安全に見える。
だからこそ、変える決断には強い理由と覚悟が求められます。
まず「監督→FD」という大ニュースをどう受け止めるか
今回の人事の中で、サポーターにとって最も目に見える衝撃は「優勝監督の異動」でしょう。
プロスポーツでは、社長やFDといった上流の設計者が中長期の骨格をつくる一方で、短期の勝敗や勢いは監督という現場責任者の意思決定に強く左右されます。
言い換えるなら、成果の体感が監督中心に設計されている産業構造があります。
だからこそ「成功をもたらした監督が来季ベンチに立たない」という事実は、再現性への不安として強く立ち上がります。
この反応はごく自然ですし、むしろクラブへの愛情の深さの裏返しだと思います。
森氏の役割移動に関して考えられる“経営的な読み筋”
ここからは、会見で説明された事実を前提に、一般論として想定し得る“経営的な読み筋”を整理します。
成功の型を“現場の個人技”から“クラブの仕様”へ
第一に、成功の型を“現場の個人技”から“クラブの仕様”へ移すという発想です。
森氏が監督として現場で掴んだ勝ち筋を、FDとして強化・育成・補強思想・プレーモデルの上流へ反映させることで、監督が変わってもクラブとしての方向性がブレにくくなる可能性があります。
初めてのJ1という不確実性が高いフェーズでは、再現性を組織側へ移すという判断は筋が通ります。
人的リスク管理
第二に、人的リスク管理の観点です。
成功した監督が市場で注目されるのは自然な現象で、組織としては外部流出リスクを意識するタイミングでもあります。
上流の役割を与え流出を防ぐことは企業でもよくある現実的な判断です。
セーフティネット
第三に、セーフティネットとしての意味合いです。
新監督体制に不確実性がある以上、森氏の現場再登板というカードを残せる構図は、有効なリスクヘッジになり得ます。
FD市場の現実
第四に、より現実的な制約として、市場の中で外部からFDの適任者を見つけられなかった可能性も考えられます。
FDは戦術理解、スカウティング、補強交渉、育成設計、クラブ文化の翻訳など複合能力が求められ、クラブの資源制約を理解して初めて機能する役職です。
外部から即戦力の適任者を確保する難易度が高いなら、成功の型を最も理解している人物を内部から上流に据える方が合理的に見える局面もあります。
なぜJ1初挑戦で「新監督」という不確実性を選んだのか
そしてサポーターの最大の不安は、やはり新監督(樹森氏)の不確実性でしょう。
J1という最も難しい舞台で、新監督というカードを切ることは、強化体制などの上流設計とは別次元のリスクを伴います。
いくらFDや強化思想を整えても、現場の指揮官が機能しなければ全ては水泡に帰する。
この一点は、組織論よりもフットボールそのものの現実です。
だからこそ重要なのは、「上流を整えたから大丈夫」という楽観ではなく、上流と現場が噛み合ったときに初めて勝ち筋が立ち上がるという厳しさを、クラブ自身がどこまで織り込んでいるかです。
森氏のFD就任は“成功を継承させる土台作り”であると同時に、新監督体制が想定より苦しんだときの安全弁として機能し得る。
来季の評価軸は、まさにこの二重の役割が現実に回るかどうかに集約されるはずです。
森氏のFD就任と新監督人事は“セット設計”だった可能性
森氏のFD就任が一定の将来像の中で検討されていたなら、空位となる新監督ポストについても、同じ設計図の中で方向性が描かれていた可能性はあります。
監督は“短期成果を実現させるための存在”です。
ここを曖昧にしたまま上流構造だけを入れ替えるのはリスクが大きい。
したがって、森氏の役割移動と新監督の選定は、戦い方の継承や補強思想の一貫性を保つための“一体型パッケージ”として検討されていたという見立てには、十分な合理性があります。
ここから背後の構造へ――「西村構想 × 経営判断」
以降の論点を考える上での重要な前提があります。
森氏のFD就任構想について、会見の場で「森氏にFD就任を持ち掛けたのは西村氏」である旨の説明があったと報じられています。
この前提に立つと、森氏の役割移動は「経営が一方的に用意した配置転換」という単純な図式ではなく、
西村氏が描いた構想の要素があり、それをクラブとしてどう承認するかが経営判断になったと整理するほうが自然に見えてきます。
会見ではあわせて、「GMは一旦置かない」「GMとFDは全く違う役割で、森FDは経営領域には入らない」という趣旨の説明もなされています。これは、従来のように「取締役GM」として経営と強化を一手に担う体制をやめ、経営と現場を構造的に分け直すというメッセージと読むことができます。
「西村ライン」の権限集中が“見える”ことへの経営者の懸念
仮に、森氏のFD就任構想が西村氏の発案であり、かつ西村氏自身が取締役・GMとしてクラブ中枢にいたという状況を想定すると、「強化と現場と将来設計のほぼ全てが一系統で決まっていく」構図に近づきます。
そうなると、社長を含む他の経営陣の視点からは、「このクラブの未来像は、西村ラインの構想が事実上の既定路線になっていくのではないか」という感覚が生まれても不思議ではありません。
人事構想の内容そのものが良い・悪いという話ではなく、構想の起点と意思決定の重心がどこに集まって見えるかがガバナンス上の緊張を生むのです。
実際、クラブは今回の人事とあわせてGMポストを空席とし、FDはトップチーム専任で経営には関わらない役割と位置づけています。人物の入れ替えというより、「経営と強化を同一人物に集中させない」方向へ、組織図そのものを引き戻したとも受け取れます。
森氏FD承認と西村氏退任を“意思決定ルートの整理”として見る
この文脈に立つと、森氏のFD異動をクラブとして承認するタイミングで、西村氏が退任となった
という流れも、意思決定ルートの整理として理解できます。
構想の起点に立ち、同時にGM・取締役として実行と中枢にも関わる人物が、将来設計まで一系統で描く構図は成果を生みやすい一方、ガバナンス上の緊張も生みやすい。
だからこそクラブ側が、
- 構想の中で活かすべき要素は活かし
- ただし、次フェーズの承認と説明の重心は“組織側”へ戻す
という再設計を意図したとしても、不自然ではありません。
成功にも失敗にも読み替えられる判断である
もちろん、今回の人事は「正解が約束された合理策」ではありません。
成功の仕様化や権限分散という発想は、うまく機能すればJ1での生存確率を上げます。
しかし逆に、現場の一体感や勢いの継承に失敗すれば、「理屈を優先して火を消した判断」として記憶される可能性もあります。
この人事は、成功のための痛みであると同時に、失敗の入口になり得る。
その不確実性を含んだまま、クラブは勝負に踏み出した。
そう捉えるのが、最も誠実な整理だと思います。
西村氏のnoteが浮上させた「プロセス」と「説明責任」
また、契約満了が発表された西村氏はnoteで、「数日前に契約満了を突然伝えられた」趣旨、来季の所属が現時点で決まっておらず「未来は白紙」である旨を述べています。
この発信が示すのは、判断の是非以前に、
・いつ
・どの段階で
・何を
・どの粒度で共有していたのか
という意思決定のプロセスそのものはどうだったのかという疑念を抱かせるものでした。
もちろん、外部から内部の対話を断定することはできません。
ただ、「突然性」や「白紙」という言葉が公に出た以上、クラブ側には理由の抽象論だけでなく、コミュニケーション設計の説明がより強く求められる状況になったと整理するのが自然です。
構造の合理性と、プロセスの礼節は別レイヤーである
ここで、あえて批判的な視点も置いておきたいと思います。
この記事の軸は「構造の問題」「意思決定ルートの整理」という整理にあります。
しかし仮に、構造的な必然性が強かったとしても、当事者への通告のタイミングや向き合い方が拙ければ、その組織は「ガバナンスが機能している」とは言い難くなります。
ガバナンスは権限設計や承認ルートだけではなく、功労者への礼節、リスペクト、そして“出口の設計”まで含めた総合力として評価されるからです。
西村氏のnoteのトーンが示す“突然性”が事実に近いのだとすれば、
外から見える断片だけでも「構造としては理解できる決断」と「プロセスとしての雑さ」が同居していた可能性を否定できません。
この違和感は、理論の正しさとは別レイヤーで、クラブへの信頼を傷つけ得るものだと思います。
そのように体制図を引き締めたこと自体はガバナンス上の合理性がありますが、その運び方が「突然の通告」と受け止められてしまったなら、構造を正したはずの改革そのものが、プロセス面でクラブへの信頼を揺らす結果にもなり得ます。このアンバランスさこそが、今回多くの人が抱いている違和感の源なのかもしれません。
納得が割れる決断ほど、説明責任が経営の核心になる
今回の人事に納得がいっていない選手・スタッフ・サポーターが一定数いるであろう点も、
現実として織り込むべきです。
クラブが今後示すべき説明は、
- 「クラブの未来のため」という理念
だけでなく - どういう手順で、誰に、いつ、何を共有しながら判断に至ったのか
というプロセスの言語化へと重心が移っています。
外部の人が内情をすべて知ることはできません。
だから意思決定の評価は往々にして、事後の成果、説明の一貫性、未来像の見えやすさで決まります。
クラブが今後示すべき“結果”は勝ち点だけではありません。
- 戦い方の一貫性
- 育成方針の継続性
- 補強思想の連続性
- FDと監督の役割分担の健全さ
- 説明の透明性
こうした“持続する強さ”が見えるほど、納得は時間とともに積み上がっていくはずです。
大きな決断ほど、結果責任は経営トップに集まる
キーマン交代や重要な役割移動は、組織の未来を左右するほどのインパクトを持ちます。
一般論として、こうした決断を下した経営トップには結果責任が重くのしかかります。
水戸のケースでも、最終判断と説明責任を担う立場にある小島社長にかかる責任は大きくなった
と考えるのが自然でしょう。
これは誰かを責める話ではなく、最終責任者が重さを引き受ける構図が健全なガバナンスの一部であるという意味です。
それでもリーダーは、時に決断を下さなくてはならない
成功の直後は「今のままでも行けそうに見える」ため、変える決断ほど難しくなります。
しかし、組織の成熟や持続性を考えるなら、手を入れるべきタイミングは“成果が出た後”に訪れることが多いのも事実です。
功労者を尊重し、成果を認め、それでも属人性を抑える組織設計へ進むために決断する。
この痛みを引き受けること自体が、次の強さの土台になることがあります。
中小企業にもそのまま通じる教訓
水戸のケースで言えば、「GMを一旦置かない」「FDは経営に踏み込まない」という線引きは、まさに権限と役割の再設計の例です。同じことは中小企業でも起こり得ます。事業責任者がいつの間にか取締役として経営にも深く入り込み、「その人の構想=会社の方針」に見えてしまう状態をどこで止めるか、という問題です。
この題材が経営者にとって興味深いのは、地方クラブの出来事が中小企業の現実にほぼそのまま転写できるからです。
特に今回の論点は、「優秀な右腕に依存しない仕組み」という一般論よりも、“正しさ”と同じくらい“プロセスと説明”が組織の信頼を左右するという点にあります。
中小企業でも、次のような場面は珍しくありません。
- 事業拡大の直前・直後に、キーマンの役割変更や交代が必要になる
- 経営としては合理的でも、現場や取引先は感情的に受け止める
- そこで説明の量とタイミングを誤ると、判断そのものより“やり方”が批判される
つまり、ガバナンスは「決め方の設計」であり、同時に「伝え方の設計」でもあるということです。
実務上は、次の2点を意識するだけでも“納得の土台”がかなり変わります。
- 意思決定の手順を先に決めておく
重要人事や役割変更について、「誰が提案し、誰が承認し、誰が説明するのか」を事前に言語化しておく。 - “結論”より先に“プロセス”を共有する
変更の可能性が出た段階で、当事者と関係者に「論点」「前提」「判断の軸」を先に共有し、
最終決定は“突然の宣告”に見えない形で着地させる。
この2つができていれば、仮に痛みを伴う決断であっても、「少なくとも敬意と手順は尽くした」という信頼が残ります。
今回の水戸のケースが示しているのは、構造の再設計が必要な局面ほど、説明責任と礼節が“経営の一部”になるという現実です。
中小企業にとっても、この視点はそのまま重要な教訓になると思います。
優秀な人が孤立せず、組織として長く強くなるための仕組みです。
おわりに――功労者を称えながら、依存を減らすという難題
功労者がいたから今がある。これは揺るがない事実です。
同時に、組織が次の段階に進むには、功労者がいてもいなくても回る構造を育てていく必要があります。
今回の水戸ホーリーホックの人事は、サポーターにとって複雑な感情を伴う出来事である一方、経営・組織論として見れば、成功後の役割再設計、意思決定ルートの整理、そして“構想の起点”と“組織の承認・説明の重心”をどう分離していくかという難題が凝縮されたケースです。
初めてのJ1は未知の一年になります。
不安があるのは当然ですし、その不安を言語化できるサポーターの目はむしろ健全だと思います。
クラブが未来像と役割設計を粘り強く示し、現場が一貫した戦い方で応えていけるなら、
今回の揺れは“成熟への一歩”として意味あるものになっていくはずです。
