労働基準法は誰のため?労働時間規制の転換を解説

2025年、労働基準法をめぐっては、大きな見直しが議論されていました。
勤務終了から次の勤務開始まで一定の休息時間を確保する「勤務間インターバル制度」、2週間以上の連続勤務を防ぐ規制、勤務時間外の連絡から労働者を解放する「つながらない権利」などです。
私も当時、この動きを前提として、2026年に予定される労働基準法改正についていくつかの記事を書きました。
しかし、2026年になって状況は大きく変わりました。
高市政権は、「心身の健康維持と従業者の選択」を前提としながら、「柔軟で多様な働き方」を実現するための労働時間法制の見直しを打ち出しています。
議論の中心には、裁量労働制や変形労働時間制など、労働時間制度をより柔軟に利用できるようにする方向が浮上しています。高市総理自身も2026年7月27日の記者会見で、骨太方針と日本成長戦略を踏まえ、労働政策審議会で労働時間法制について議論すると説明しています。
さらに9月1日からは、労働基準監督署による時間外労働の監督指導の運用も変更されました。
これは単純に「残業規制がなくなった」という話ではありません。
しかし、2025年まで進められていた「労働からの解放」を重視する議論と比べると、政策の重心が明らかに変わりつつあります。
そこで改めて考えてみたいことがあります。
そもそも、労働基準法は誰のための法律なのでしょうか。
2025年まで議論されていたのは「労働からの解放」だった
2025年1月、厚生労働省の「労働基準関係法制研究会」は報告書を取りまとめました。
特徴的だったのは、単に「何時間まで働かせてよいか」という労働時間の上限だけではなく、仕事から離れる時間そのものをどう保障するかに踏み込んだことです。
報告書では「労働からの解放に関する規制」として、休日、勤務間インターバル、「つながらない権利」などがまとめて検討されました。
休日については、2週間以上の連続勤務を防ぐ観点から、原則として「13日を超える連続勤務」を禁止する規定を労働基準法に設ける方向が示されました。
勤務間インターバルについても、11時間を原則とする案などを示しながら、「義務化を視野に入れつつ、法規制の強化について検討する必要がある」とされました。
さらに、スマートフォンやチャットツールの普及によって勤務時間外にも仕事の連絡が届く時代を踏まえ、「つながらない権利」についても労使でルールを定める方向が検討されていました。
研究会の最後には、従来の長時間労働規制から一歩進み、休日規制、勤務間インターバル、「つながらない権利」といった労働から解放される時間の規制に着目したこと自体が成果であるとの総括もされています。
少なくとも当時の議論には、一つの明確な方向がありました。
どれだけ働いたかだけではなく、きちんと休めているかも法律で守る。
私は、この方向性には大きな意味があると考えていました。
労働基準法第1条から考えてみる
なぜ、休息時間まで法律で保障する必要があるのでしょうか。
その答えを考えるうえで、労働基準法第1条は非常に重要です。

同条は、労働条件について、労働者が「人たるに値する生活」を営むために必要なものを満たさなければならないと定めています。
さらに、労働基準法が定める基準は「最低」のものであり、当事者はその向上に努めなければならないとしています。
労働契約も契約である以上、形式的には労働者と使用者がお互いに合意して成立します。
しかし、現実の交渉力まで常に対等とは限りません。
「今日は残業できません」
「休日には働けません」
「勤務時間外には連絡しないでください」
労働者がそう考えていたとしても、職場で実際に言えるかどうかは別問題です。
だから労働基準法は、すべてを当事者の自由な合意に任せていません。
「本人が同意したからよい」というだけでは済ませず、法律によって最低限守らなければならない線を引いています。
ここが労働基準法の重要な特徴です。
2026年、「柔軟に働ける制度」が前面に出てきた
ところが2026年になると、労働時間法制をめぐる議論の景色が変わってきました。
高市政権は、「心身の健康維持」と「従業者の選択」を前提としながら、柔軟で多様な働き方を実現するための労働時間法制を検討する方針を示しています。
裁量労働制の対象の在り方や、変形労働時間制の要件などが重要な検討テーマになっています。
そして2026年9月1日から、労働基準監督署による時間外労働に関する監督指導の運用も変更されました。
上限規制そのものは変わっていない。それでも何が変わったのか
ここは正確に理解する必要があります。
今回の変更によって、時間外労働の上限規制そのものが引き上げられたり、撤廃されたりしたわけではありません。
上野厚生労働大臣も9月1日の会見で、今回の見直しは「時間外労働の上限規制そのものを変更するものではなく」と明言しています。
厚生労働省は、上限規制の遵守は従来どおり徹底し、過重労働によって健康障害が生じるおそれがある場合には、引き続き長時間労働の是正を求めるとしています。
この点は重要です。
一方で同じ会見では、上限規制の範囲内で労使の合意に基づいて適法に行われている時間外労働について、月45時間以内に収めることを求める一律の指導を見直すと説明されています。
36協定の適切な締結や、柔軟な労働時間制度の活用についての相談支援も充実させるとしています。
つまり、法定上限そのものを緩和したわけではありません。
変わったのは、その上限に至るまでの労働時間を行政がどのように捉えるかという政策上・行政運用上の重心です。
本稿で問題にしたいのも、「残業規制が撤廃された」ということではありません。
労働時間法制を考える際の出発点が、「労働者をいかに仕事から解放するか」から、「上限規制の範囲内でいかに柔軟に働けるようにするか」へ移りつつあるのではないか。
という点です。
「働きたい人が働ける」は、どれほどの労働者が望んでいるのか
現在の政策を説明する際、「働きたい人が働ける」「従業者の選択」といった言葉が使われています。
もちろん、もっと働きたい人がいること自体を否定する必要はありません。
収入を増やしたい人もいます。
仕事を通じて経験を積みたい人もいます。
本人がそれを希望するのであれば、その希望をできるだけ尊重することにも合理性があります。
では、実際にどれほどの労働者が今より長く働きたいのでしょうか。
厚生労働省が、働き方改革関連法施行後5年の総点検のため、労働者3,000人を対象に実施した調査があります。
結果は次のとおりでした。
- 労働時間を増やしたい 10.5%
- このままでよい 59.5%
- 労働時間を減らしたい 30.0%
つまり、89.5%の労働者は、今より労働時間を増やしたいとは回答していません。
さらに興味深いのが、「増やしたい」と答えた10.5%の内訳です。
このうち、週所定労働時間が35時間以下の人が6.1ポイントを占めています。

「今よりもっと長時間残業をしたい」というフルタイム労働者ばかりではなく、現在の勤務時間が比較的短い人が、勤務時間を増やしたいというケースが相当部分を占めているわけです。
労働時間を増やしたい理由を見ると、
「たくさん稼ぎたい」が41.6%、
「残業代がないと家計が厳しい」が15.6%でした。
両者を合わせれば半数を超えます。
これはかなり重要な数字だと思います。
「もっと仕事をしたい」という自己実現の問題と、
「今の収入では足りないため、もっと働いて稼ぎたい」
という問題は、同じではありません。
後者に対する政策的な答えが「それなら長く働けるようにしましょう」だけでよいのかは、別途考える必要があります。
月80時間を超えてまで働きたい人はごく少数
さらに、厚生労働省の資料では、今より労働時間を増やしたい人について、希望する時間外労働の水準まで調べています。
その結果、労働時間を増やした結果として月80時間を超える時間外・休日労働を希望する人は、全労働者の約0.5%でした。
つまり、
「上限規制によって、本当はもっと長時間働きたい多数の労働者が働けずに困っている」
という姿は、この調査からは見えてきません。
むしろ、労働時間を減らしたい人は30.0%です。
増やしたい人10.5%のおよそ3倍います。
それなら、一つ素朴な疑問が生じます。
なぜ政策の出発点として強く語られるのが「もっと働きたい10.5%」であり、「もっと労働時間を減らしたい30.0%」ではないのでしょうか。
一方、企業側には明確な規制見直しニーズがある
企業側を見ると、景色はかなり違います。

日本・東京商工会議所が2026年4月から5月にかけて全国1,724社を対象に実施した「中小企業の働き方改革に関する調査」では、時間外労働の上限規制によって「事業運営に制約が生じている」と回答した企業は19.1%でした。
業種別に見ると、
- 運輸業 35.7%
- 建設業 28.7%
- 宿泊・飲食業 24.5%
となっています。
また、同じ調査では、
「変形労働時間制をはじめとする繁閑や予期せぬ業務に対応できる柔軟な労働時間制度の実現」
を求める企業が72.6%に上りました。
こうした企業側の問題意識は理解できます。
特に中小企業の場合、天候、取引先からの急な納期変更、部材の入荷遅延、人手不足など、自社ではコントロールできない事情によって業務が集中する場合があります。
建設業や運輸業などでは、その問題がより深刻なのでしょう。
企業側が「もう少し柔軟に労働時間を配分できる制度にしてほしい」と求めること自体は、経営上の合理的な要求です。
経団連も制度見直しを求めています。
2026年5月13日の労働政策審議会労働条件分科会では、日本成長戦略会議における経団連・筒井委員の発言として、健康確保、長時間労働防止、処遇改善を前提としながら、政府に裁量労働制の拡充を求めたことが厚生労働省から報告されています。
同じ分科会では、使用者側からも裁量労働制や変形労働時間制の見直しを求める意見が示されています。
したがって、
「柔軟な労働時間制度を求めるニーズが存在しない」
と言うつもりはありません。
むしろ、企業側にはかなり明確に存在しています。
「企業が働かせたい」と「労働者が働きたい」は同じではない
今回の議論で、私が最も気になるところです。
企業が、
「繁忙期には、もっと柔軟に働いてもらいたい」
と求める。
これは企業側の要望として理解できます。
その要望を踏まえて、
「労働時間制度を柔軟化すべきか」
と議論するのであれば、賛否はともかく論点は明確です。
しかし、
企業が柔軟に働いてもらいたいことと、労働者本人がもっと長く働きたいことは、同じではありません。
政府自身が実施した労働者調査では、今より労働時間を増やしたい人は10.5%です。
一方で、企業調査では柔軟な労働時間制度を求める企業が72.6%に上ります。
もちろん、調査対象も質問内容も違うため、この二つの数字を単純比較することはできません。
それでも、
労働時間制度を柔軟化してほしいというニーズが、どちら側により強く存在しているのか
を考える材料にはなります。
そこで政策を「働きたい人が働けるようにするため」と説明するのであれば、本当にその政策の主たる受益者が労働者なのかについて、丁寧な検証が必要ではないでしょうか。
「本人が選んだのだから」で済ませてよいのか
「従業者の選択を尊重する」という考え方は、一見すると非常にもっともです。
しかし、労働基準法との関係では慎重に考える必要があります。
そもそも労働基準法が必要なのは、労働条件をすべて本人と会社の自由な合意に委ねるだけでは、労働者を十分に保護できない場合があるからです。
もし純粋な自己選択だけでよいのであれば、
「本人が100時間残業することに同意した」
「休日なしで働くことに同意した」
「休憩はいらないと言った」
という合意も尊重すればよいことになってしまいます。
しかし、労働基準法はそうなっていません。
本人が希望しても超えてはならない最低基準を置いています。
それは、労働者本人の意思を軽視しているからではありません。
労働者の生命、健康、生活を守るためには、ときに本人の同意だけでは十分ではない
という考え方があるからです。
さらに職場では、「本人の希望」と「断れないから同意した」の境界も必ずしも明確ではありません。
上司から、
「今月忙しいけど、もう少し残業できるよね」
と言われたときの「はい」が、常に完全に自由な意思によるものなのか。
ここに労働法が長年向き合ってきた難しさがあります。
「自己選択」という言葉を掲げるのであれば、その選択が本当に自由なものになるための制度設計も同時に必要です。
労働政策審議会の三者構成は何のためにあるのか
もう一つ、今回の議論で気になるのが政策決定のプロセスです。

労働政策審議会は、公益代表、労働者代表、使用者代表の各10名、合計30名から構成されています。
厚生労働省自身が、その理由について、労働現場のルールは現場を熟知した労使が参加して決めることが重要であると説明しています。
また、ILOの諸条約を踏まえ、公労使三者構成の原則が採用されていることも明記しています。
なぜ三者構成なのでしょうか。
労働者と使用者では、利害が異なるからです。
企業は事業運営の柔軟性を求めます。
労働者は賃金だけでなく、休息、健康、家庭生活などを求めます。
どちらか一方だけを正しいと決めるのではなく、その異なる利害を公労使で調整する。
それが三者構成の意味でしょう。
ところが2026年の労働時間法制では、日本成長戦略会議で政策の方向性が議論され、その内容を受けて労働政策審議会で検討する流れが生まれています。
これに対して労働者側委員からは、かなり強い懸念が示されています。
2026年5月の労働条件分科会では、
労働時間法制を含む働き方改革の見直しは公労使三者構成の労政審の議論を尊重すべきで、日本成長戦略会議で方向付けるべきではない
との意見が紹介されています。
そのうえで高市総理から厚生労働大臣に対し、裁量労働制や変形労働時間制などの見直しについて「検討を加速」するよう指示が出ています。
4月の分科会でも、労働者側から、日本成長戦略会議によって政策の方向付けが行われ、労働政策審議会がその「下請」のようになってはならないとの趣旨の懸念が示されています。
形式上、労働政策審議会の三者構成がなくなったわけではありません。
現在も公・労・使の三者で議論されています。
問題は、
三者で方向性を決める前に、政府の成長戦略という別の場で大きな方向が設定されていないか
ということです。
これは、労働政策の作り方そのものに関わる問題だと思います。
休息規制と柔軟化は、本来なら両立できる
私は、働き方を柔軟にすること自体が間違っているとは考えていません。
繁忙期と閑散期が明確な業種もあります。
天候や取引先の都合に左右される中小企業もあります。
専門職など、自分で働く時間をある程度決めたい人もいるでしょう。
それなら本来、
働く時間の配分については柔軟性を高める。
その一方で、最低限の休息時間は強く保障する。
という制度設計も可能なはずです。
例えば勤務間インターバルです。
忙しい日に一定程度長く働いたとしても、次の勤務開始まで11時間の休息を確保する。
これなら、「働きたい」「繁忙期に対応したい」という要求と、「睡眠や生活時間を守る」という要求をある程度両立できます。
連続勤務規制も同じです。
1週間ごとの勤務時間の配分を柔軟にするとしても、13日を超えて休みなく働かせることには歯止めをかける。
ICTによって24時間仕事とつながることが可能になった時代だからこそ、「つながらない権利」についてルールを設ける意味もあります。
実際、これらの論点自体が現在の労働政策審議会から消えたわけではありません。
2026年7月の労働条件分科会でも、連続勤務規制、勤務間インターバル制度、「つながらない権利」は引き続き検討事項として整理されています。
しかし同じ会合では、労働者側から、裁量労働制や変形労働時間制などの議論に審議時間の大半が割かれ、勤務間インターバルや連続勤務規制、「つながらない権利」などの論点が十分に議論されていないとの問題提起も行われています。
ここにも、2025年から2026年にかけての政策の重心の変化が表れているように思います。
誰のための労働基準法なのか
企業経営の現実を無視して労働法制を作ることはできません。
特に人手不足が深刻な中小企業では、現在の制度が現場に合っていない部分もあるでしょう。
企業が存続できなければ雇用も維持できません。
その意味で、使用者側の意見を政策に反映することは当然必要です。
また、もっと働きたい労働者の希望を無視すべきでもありません。
しかし、労働基準法は、企業が必要な労働力をより柔軟に確保するためだけに存在する法律ではありません。
第1条が最初に掲げているのは、労働者が**「人たるに値する生活」**を営むための労働条件です。
労使の交渉力は常に対等ではない。
本人の同意だけでは守れないものがある。
だから法律が最低基準を設ける。
この原点から労働時間法制を考える必要があります。
「働きたい人が働ける社会」という言葉は、一見すると労働者の自由を尊重しているように聞こえます。
しかし、そのための制度変更によって、
もっと休みたい人、
残業を断りたい人、
家族との時間を確保したい人、
勤務時間外には仕事から離れたい人、
そうした人たちの自由が小さくなるのであれば、それは本当に「選択肢を増やした」と言えるのでしょうか。
しかも、政府自身の調査では、今より労働時間を増やしたい人は10.5%です。
一方、減らしたい人は30.0%です。
この数字を見ると、私はどうしても一つの疑問に戻ります。
今回の労働時間法制の見直しは、本当に労働者のためのものなのでしょうか。
企業が抱える現実的な問題への対応は必要です。
働きたい人の希望も尊重すべきです。
しかし、それを理由として労働者保護の在り方を見直すのであれば、「誰がそれを求めているのか」「誰が利益を受けるのか」「その結果、誰がリスクを負うのか」を慎重に確認しなければなりません。
2025年に示された勤務間インターバル、連続勤務規制、「つながらない権利」という方向は、労働者を単に「労働力」としてではなく、仕事から離れて生活する時間を持つ人間として捉えるものでした。
2026年、労働時間法制をめぐる議論は大きな転換点を迎えています。
だからこそ、制度の細かな緩和策を論じる前に、もう一度原点に立ち返る必要があると思います。
誰のための労働基準法なのか。
その問いを置き去りにしたまま、労働時間法制の「柔軟化」だけが先に進むことには、強い懸念を感じます。


